海外に初めて行った話-ヨーロッパ編
先日、海外に行った。
生まれて初めて。
イタリア、ドイツ、アラブ首長国連邦。
初めての割に一人で、しかも10日間の個人旅行でどうなることかと思ったが、無事帰国できている。
そんなわけで備忘録を兼ねて、どんな感じだったか軽く書いていこうと思う。
1.イタリア
今回の旅行のメイン。
1-1.ローマ
成田からアブダビを経由してフィウミチーノ空港へ。
フライトが地獄だった。
とてもじゃないが眠れたものじゃない。
夜行バス(苦手で極力使わないようにしている)でも思うが、椅子で爆睡できるのは一種の才能だと痛感する。
エコノミークラスというものは、資本主義社会の敗北者━たる我━がなんとか海の外へ辿り着かんとする際に用意される、一種の「セーフティネット」なのだろう。
ビジネスをしていない私のような人間がビジネスクラスを使うことなどできないし、ファーストクラスなどもってのほかだ。
もっとも、フリーター(無職)クラスがないだけまだ助かったと言えるのだが(剃髪・焼印の上与圧すらされていない区画に押し込まれたりするだろう)。
そんなわけでやっとの思いでローマに到着した私は、18時間のフライトの疲れと猛烈な眠気のせいで今すぐ日本に帰りたくなっていたのだが、帰ろうにも再び18時間の地獄のフライトを経なければ祖国の地を踏むことができない。
まさに進むも地獄退くも地獄である。
仕方ないので空港から市街地に出て観光した。
コロッセオ。古い建物だなあと思った。
コロッセオ内部。なんだかエロスを感じた。
古代ローマ人とは気が合うかもしれない。
フォロ・ロマーノ。よくわからないが古い建物だなあと思った。
真実の口で後ろに並んでた日本人に写真を撮ってもらった。全体的にローマはめちゃくちゃ日本人が多かった。
トレヴィの泉。コインは投げなかった。そんなお金の余裕はないのだ。
そもそも、この泉にコインを投げるとまたローマに来ることができるとかなんとかいう話らしいが、地獄の18時間フライトが待っていると考えたら投げたくならないのが当然だ。
スペイン広場。一体なにがスペインなのだ。聞こうにも同行者はいない。結局なにがスペインなのか、最後までわからなかった。
ある程度ローマを堪能したので、ホテルに早めのチェックインをしようと思ったら、予約してたホテルの入り口扉に
「工事中〜。ごめんね!」
みたいな文が英語とイタリア語で書いてあり、扉が閉鎖されていた。
私は当然イタリア語はできないし、なんなら英語もよく分からない。
さすがに泣きそうになった。
ただでさえ異国の地で一人ぼっち、不安で死にそうなのに。
誰か助けてくれ。
日本人に会いたい。
日本人に…
三越あった。
日本人だらけだった。
ローマに来てまで三越行ってんじゃねーよお前ら。ふざけるなよ日本人。
賢者になりながらホテルに戻ってよくよく貼り紙を読んだら、併設してる隣のホテルのカウンターでチェックインできるのことだったので解決した。
不毛な時間だった。
〜ローマ2日目〜
バチカン行った。
これ登るの相当疲れた。
バカチン。
カラカラ浴場というデカい銭湯跡にも行った。
古くてデカいなあと思った。
水道橋公園。
古いなあ。水道橋だなあ。と思った。
3日目はローマから足を伸ばしてポンペイに行った。
当初は一切予定になかったけど、調べたら案外簡単に到達できるらしいということがわかったので急遽行くことに。
こういう雑な旅行ができるのが一人旅の魅力だなあとつくづく思う。
ローマからナポリに移動し、ベスビオ周遊鉄道でポンペイ遺跡へ。
詳細な行き方はちゃんとしたサイトに譲り、写真と感想だけ。
広すぎて困った。しかも石畳で歩きにくいことこの上ない。10畳くらいに縮んでくれと心の底から願いながらポンペイを歩いた。
死体の痕跡に石膏を流し込んで作った有名な石膏像。見応えあるけど冷静に考えるとだいぶ悪趣味。
しかし人間とは本当に悪いもので、死体石膏像を見たくてたまらない。石膏像がある地点にはご丁寧にそれっぽくマークがある。分かりやすくとてもありがたいですね。
このサイズで5ユーロ、物価が明らかにおかしい。わたしの知らない間にユーロの価値が狂ったのかと思ったが、これがナポリのデフォらしい。
会計の時、私を担当してくれたウェイターが日本語で話しかけてくる。
ウェイター「コンニチハ、アリガトウ。」
わたし「ありがとう。ありがとう!日本語が上手ですね。」
ウェイター「アリガトウ。アリガトウマネー。」
早い話がチップを寄越せということらしかった。
なにぶん初めての海外なのでチップの文化もわからない。
ナポリは治安が悪いと聞いている。
私は殺されたくなかったので2ユーロ硬貨を渡して店を出た。
1-3.ベネチア
4日目の朝、ホテルをチェックアウトしてベネチアに向かった。
しかしこのイタロという電車は本当にかっこいい。
ローマからベネチアまで4時間ほど。
そんなイタロに乗り込んだところ、同席になったイタリア人に話しかけられる。
伊「お前は中国人か?」
この問いは非常にセンシティブなものであった。
なぜなら当時(現在もであるが)、世界中で新型コロナウイルスが猛威を奮っており、その発生源たる中国、そしてアジア人はヨーロッパで差別の対象となっている(らしい)からである。
私は罵声を覚悟して、日本から来た者です。と答えた。
すると彼は
伊「なんだ日本人か。俺は中国語喋れないから中国人だったら困ったよ。まあ日本語も喋れないんだけどな!HAHAHA!」
イタリアンジョークを炸裂させたのである。
振り返ってみると、ヨーロッパ中東10日間の中で、コロナにまつわる差別を受けたと感じたのは、
ローマですれ違った人が私を見るなりハッとして手で口を覆ったことと、
ベスビオ周遊鉄道に乗り合わせた酔っぱらいのおそらく現地住民と思われる男に、「コロ〜ナウイル〜ス」と口ずさまれたくらいのものであった。
話は逸れたがベネチアに到着。
結論から言うととんでもなく素晴らしい街だった。
駅出たら目の前で船が行き来している。素晴らしい。
しかしあまりにも船舶の交通量が激しい。マーチスを設置すべきだろう。
登れる建造物があったら手当たり次第登った。
馬鹿と煙は高いところを好むのだ。
購入した後に気づいたのだが、つばの部分に金色の飾り、いわゆるスクランブルエッグが付いている船長仕様もあった。
知っていたらそっちを買ったのに!
夜に食べたこのイカスミパスタが本当に美味しかった。
翌日の排泄物の色がおどろおどろしい物になったのだが、そんな汚い話はここではしません。
翌日はちょうどベネチアカーニバル初日で、至る所で仮装が繰り広げられていたのだが、ジャパニーズオタクたるわたしにはイタリアのコミックマーケットとしか感じられなかった。
甚だ最低である。
ベネチアに舞い降りた天使。
彼女は実に天使としての振る舞いが見事で、写真の位置から1時間は動かなかった。
ブラーノとかいう離島にも行った。
家という家が、Windowsにデフォルトで入っているペイントツールのバケツマークのやつで塗りつぶしたような感じだった。
隣のベッドに陣取ったのはミュンヘン在住のマレーシア人。
彼は、「ボローニャに遊びに行ったけど退屈すぎて急遽帰ることにした。」
と言っていた。
boringを連呼していたのが実に印象的だった。
ちなみにこの時点でわたしもイタリアに飽きていたため、me tooを連呼した。
まっことひどいグローバルコミュニケーションである。
2.ドイツ
2-1.ミュンヘン
マレーシア人と会話しながら寝て、起きたらミュンヘンだった。
厳密には朝4時頃、ザルツブルクでパスポートチェックのために起こされた。
シェンゲン協定内だからパスポートチェックはないと思っていたのだが、そんなことはないらしい。
ミュンヘンに到着したのは、朝6時。何も考えずに来たのでやることはないし、しかもその日は日曜日なので困った。
ドイツでは日曜日にはほぼ全ての店という店が休業してしまう。
そんなわけでミュンヘンの日曜日の過ごし方は、博物館に行くか美術館に行くか、さもなくば死ねというような感じである。
ドイツ博物館に行った。
ここは一部界隈(当然、オタク)でカルト的人気を博している、とんでもなく大きな、そして専門的すぎる博物館であるが、圧巻は地下の鉱山コーナー。
作り込みがすごい。すごすぎて人が寄り付かない。諸行無常である。
先述の通り日曜日は飲食店も閉まりまくるので、昼はビアガーデンみたいなところで済ませた。
写真に写っている全ての物体が美味しかった。
全てだよ。
時間があったので、ミュンヘン近郊にあるダッハウ強制収容所跡に行った。
当然のように死体の写真はあるし、なかなかに重かった。
しかし展示説明がドイツ語or英語なので、まともに分からずに終わった。
英語力は本当に重要だと痛感する。
2-2.ノイシュヴァンシュタイン城
翌日は、ミュンヘン観光のド定番、「ノイシュヴァンシュタイン城」に行った。
事前情報で、ここはとんでもなく混むので予約して行った方がいいということだったので、朝早い時間の予約を取っておいた。
チケット受け取り時間は9時45分、7時の電車に乗れば十分間に合うし、わたしの手元にはバイエルンチケットという最強の乗り放題チケットもある。はっきり言って負ける気はしなかった。
のだが、
バイエルンチケットは土休日は終日利用可能なのだが、平日は9時からしか使えないらしい。
知らなかった…。これは痛恨だ。
当然車内検札でキレられる。
ドイツ鉄道の車掌氏は厳格で、
「out」「next」「station」の3単語しか喋らない。
これはわたしが全面的に悪いので、次の駅で降りることになった。
しかし幸運なことに、同じ列車内に城の予約時間、失敗バイエルンチケット、等々全く同じ境遇の日本人カップルがいた。
ありがたいことに同行を提案され、彼らに付き従って時間を潰す。
下ろされた駅と救世主の写真。
あなたたちがいなければわたしは泣きながらミュンヘンに引き返し、駅のフードコートで虚無の10時間を過ごすところでした。本当にありがとう。
堂々とバイエルンチケットを使えるようになる9時ちょうどの列車で、フュッセンを経由して、ノイシュヴァンシュタイン城へ。
本当に行ってよかった。安易な諦めは良くないことを学んだ。固執するのもよくないけど。
ていうかチケットセンターはガラガラだった。
全然当日でも買えた。
時間がなかったので自分は中には入らなかったけど。
この後ミュンヘンに戻り、空港へ移動。
ミュンヘン国際空港の出国審査の話なのだが、
パスポートを出して適当に質問に答えてたら、
「お前は本当に日本に住んでいるのか?」
という軽めの詰められが発生した。
なんでだよ。
アイムジャパニーズを連呼してたらなんとか出国審査を通過でき、アブダビ行きの飛行機でドイツを後にした。
ヨーロッパ編は終わり。